小学生の頃、いろんな委員会がありましたが・・・私は飼育委員会に入りました。
動物と触れ合うことが大好きだった事から委員会に入りましたが、そこで体験したことは想像以上の事でした。
それが今も私の経験値として血肉になっています。
今回はその体験談をご紹介します。
私が小学生の頃の話。
私が通う小学校には飼育委員という委員会があり、飼育委員は当番活動として小学校で飼うチャボ、クジャク、ウサギの世話を行っていました。
3年生の時にその飼育委員会に入り、動物たちの世話をしていました。
動物が好きだからという理由で入った飼育委員会でしたが、土日はもちろん、夏休みや冬休み、春休みなどの長期休みの間も当番活動が割り振られており、大変だな、面倒だなと思うのに時間はかかりませんでした。
私の家でもペットを飼っていて動物の世話には慣れているつもりでしたが、休みの日まで学校に行かなくてはならないということがとても嫌で仕方ありませんでした。
それでも、自分が入りたくて入った委員会であったこと、
そして動物の命を関わることにとても責任を感じていたため、決められていた当番活動はしっかり行っていました。
小学校には3ヶ所に校門があり、自分の通学路に近い校門を使います。
ちょうど私が使っていた校門の近くに動物小屋が並んでおり、毎朝動物たちを見ながら校舎に向かっていました。
クジャクやウサギはめったに鳴きませんでしたが、チャボは人が通るたびに小屋の中を走り回りながら鳴いていたのが印象的。
クジャクも少し遊んであげると羽を広げ、よく間近で綺麗な羽を眺めていました。
今ではなかなか遭遇することのできないことなので、あんなに近くでクジャクの羽を見ることができたのはすごい経験だったなと思うほど。
ウサギも飼っている友人がいたので、それほど遠い存在の動物であったわけではありませんでした。
しかし私の家では、すでにペットを飼っていたこともあり、他の動物と触れ合う機会はなかなかないことだったため、餌やりが当番活動の内容でしたが、よく撫でたり遊んだりしていました。
しかしある朝、動物小屋の前を通った時、あんなにうるさかったチャボが静かでした。
そして、朝のホームルームの時間に先生からチャボが死んでしまったのだという話を聞きました。
当番活動は学年とクラスで割り振られていたので、自分の当番が終わると何週間も間が空いてしまいます。
そのため私は小屋の外からでしか動物たちの様子を見ておらず、まさか死んでしまうような状態であったとは全く思っていなかったため、とても驚いたことを覚えています。
1羽のチャボが亡くなったのをきっかけに立て続けに亡くなり、どのチャボもストレスが原因で亡くなったのだと説明がありました。
さらに、別の日にはウサギが亡くなってしまいました。
ウサギは小屋で4羽飼っていましたが、先生がその内の1羽が他のウサギによって食べられてしまったのだと、共喰いであったことを教えてくれました。
私は、ウサギが共食いをする習性があることを知らなかったので、とても驚き衝撃を受けました。
チャボが亡くなったことも悲しく衝撃を受けたのですが、ウサギが共食いによって亡くなったというのは、とにかく大きな衝撃で小学生の私にとってはいろいろと考える機会になりました。
小学校では昔からずっと動物を飼育していたので、今なら先生方もそれぞれの動物の習性や飼育方法はわかっていたことだと思えます。
こういった亡くなり方を阻止することはできなかったのかと思ってしまいますが、命の問題として小学校で考える機会があったことは良かったことだったと思っています。
特に私は、飼育委員として動物たちと接する機会が他の生徒より多かったためか動物たちに対して思い入れもあり、共食いをしたウサギの死についてしばらく考えていました。
そして、どのクラスでも動物の死や生命の命について授業が行われました。
動物は見ているだけでもかわいく、懐いてくれるとさらにかわいさが増しますが、「死」というものは動物を飼っていると必ず直面する出来事。
私の場合、学校で飼育していた動物たちと触れ合う機会があったからこその経験がありました。
友人と学校で飼う動物たちの話が増え共通の話題ができるようになり、動物たちと一緒に遊ぶという時間を共有することができたんです。
家で飼っているだけではできなかったことや感じることのできなかったこと、楽しかったことが多くありました。
しかし、それと同時に「死」についてしっかりと考えることができ、そして学ぶことができたのです。
動物を飼うということは、その動物にとってストレスのない良い環境で飼うことが大事で大前提のことだとは思います。
考える機会があったことで、それぞれの動物の飼育方法を改めて学ぶことができたことはもちろん、周りの人や物に対する自分の優しさや思いやりを改めることができ、また飼育し育てるという行為に対する責任についても改めることができました。
動物を飼うということ、育てるということは、楽しいことだけではなく、責任が生まれ大変だと思うことや辛いと思うこともあるかと思います。
しかしやはり、動物と触れ合うことで感じることや学ぶこともあるのではないでしょうか。
幼い頃から動物と触れ合う機会や環境があったことに、私も感謝したいと思います。